先週末土曜日(9/27)、元気一杯のヤンチャ娘が結婚式を挙げた。

ヤンチャ娘だけあって、地元の友達や職場の女性(女性だけの職場の)に囲まれた華やかで愉しい結婚式であった。

関西風に味付けされた(?)気楽で遠慮のない父娘関係が日常であった我が家では、結婚前日の両親への挨拶もなく、昨年末から家を出て生活している事もあり、正直、結婚式前夜も当日も、「娘を嫁に出す父親の気持ち」みたいな感傷はまったくなかったのである。

むしろ、当日はヴァージンロードを一緒に歩く役割を与えられただけの気楽な結婚式で、どちらかと言うと、「知り合いの娘の晴れ姿を楽しみにしている」おじさんのようなもので、ウェディングドレス姿の娘に、『さすがに、孫にも衣装と言うが、今まででは一番綺麗だな~!』なんて思いながら、華やかな衣装の友達や職場の同僚の若い女性達に囲まれていかにも嬉しそうな娘の姿に、又美味しい料理やお酒と久し振りの田舎の親族との談笑に、多いに満足していた。

ところが、披露宴の最後に、『それでは、只今から新郎新婦から両親へのお礼のご挨拶です」と言う司会者の一言と共に事態は一変した。

娘を嫁に出す父親の感傷とやらがムクムクと溢れ出して来たのである。突然に。

お転婆娘感傷的なところがまったくない娘が、照明が落とされ静まりかえった宴会場で、『パパとママへ』というメッセージの朗読を始めたのである。

『普段は改まって言えませんでしたが、私は大のパパっ娘で、小さいときからパパが大好きでした。・・・・』こんな風に始まったものだから、さすがに暢気な父親も、決壊した川のように一気に涙腺に襲い掛かる感情を押し止めることが出来なくなってしまった。

愛読している精神分析学者の岸田秀の「唯幻論」に書かれている様に、親子の愛情も恋愛感情と同じく「幻想」に基づいているとは思っているが、悲しいかな、この突然の感情と言うか感傷は如何ともし難い。

感傷には程遠い普段の関係であっても、やはり、父親には娘の結婚は非日常的な一大イベントであるようだ。世間で言うところの「娘を嫁に出す父親の感傷」とか、よく解らないが、何か大切なものを失くしたような不思議な気持ちを否定できない。個人的には、どこかに捨て去ったと思っていた「娘離れ」と言う忘れ物が、又突然目の前に出て来たような感覚である。

まあ、この一時的な感傷もいつの間には消えて、又新しい開けっぴろげの父娘関係がやって来るのだと思うと、それも悪くないのだが。。。